同窓会について

  • 信州大学工学部同窓会々則
  • 役員名簿
  • 沿革

信州大学工学部同窓会々則

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第1章 総則

第1条
本会は信州大学工学部同窓会と称し、事務局を信州大学工学部内に置く。
第2条
本会は会員相互の親睦を図ると共に母校の後援と工業の発展に資することを目的とする。

第2章 会員

第3条
本会は下記の会員をもって組織する。
  • 1.正会員:長野工業専門学校、信州大学工学部、信州大学大学院(若里キャンパス)に在籍し、卒業あるいは修了した者、および本会が認めた者。
  • 2.特別会員:信州大学工学部在職中の教員、同在職中の事務職員ならびに旧教員にして理事会の推薦によるもの。
  • 3.賛助会員:信州大学工学部および信州大学大学院(若里キャンパス)在学生の保護者、または他大学から本学大学院に入学し在籍している者。
第4条
役員および会議
  • 1.本会に次の役員を置く。
    1. 会長1名、副会長3名、常任理事 若干名、理事 若干名、監事2名
    2. 役員は正会員中から選出し、総会にて決定する。
  • 2.会長は本会を統括し、本会を代表する。
  • 3.副会長は会長を補佐し、会長に事故あるとき、その職務を代行する。
  • 4.常任理事会:常任理事会は会長、副会長、常任理事および監事にて構成する。
    1. 会長は副会長、常任理事、監事を招集し、議長となり会務に必要な事項を審議し、会務の執行を図る。
  • 5.理事会:常任理事会で発議した重要事項は会長が全役員を招集し、審議・決定する。
  • 6.監事は会計の監査に当たる。
第5条
役員の任期は2年として重任を妨げない。
第6条
本会の事務を処理するため事務職員を置くことができる。

第3章 名誉会長および顧問

第7条
信州大学工学部長の職にあるものを名誉会長に推薦する。
第8条
本会に功労のあった会員を理事会の議を経て顧問に推薦する。

第4章 総会

第9条
総会は原則として年1回開催する。ただし理事会で議した場合は、それに代えることができる。

第5章 事業

第10条
第2条の目的にそった事業を行う。

第6章 会計

第11条
本会の経費は会員の会費、寄付金、および雑収入をもってこれに当てる。
第12条
会員は下記の会費を納入するものとする。
  • 1.正会員は、会費として年額2,000円を納入するものとする。納入会費合計40,000円を上限とし、これに達し次第「終身会員」とする。また、2,000円を一口とし、一回に複数および全口の納入も可能とする。
  • 2.賛助会費は、在学中に30,000円を一括納入するものとする。賛助会員が保護者の場合、学生の卒業と同時に卒業生本人を正会員および「終身会員」とする。本人が賛助会員の場合も、卒業と同時に正会員および「終身会員」とする。
第13条
会計年度は4月1日より翌年3月31日までとし、予算および決算は会員一同に報告する。

第7章 支部

     
第14条
会員多数在住の地方には支部を設置することができる。ただし、この場合は支部規則を定め、会長の承認を得るものとする。

第8章 会則変更

     
第15条
本会則は、総会において出席した正会員の過半数の同意を得なければ変更することができない。
付則
  • 本会則は、平成4年6月20日より施行する。
  • 本会則は、平成14年5月24日改訂・施行
  • 本会則は、平成15年5月28日改訂・施行
  • 本会則は、平成18年5月27日改訂・施行
  • 本会則は、平成25年5月24日改訂・施行
  • 本会則は、令和2年5月15日改訂・施行

役員名簿 [任期:2022年度~2023年度]

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役職 氏名 学科 卒業年
会長 清水 保雄 機械 S45
副会長 南雲 忠信 工化 S44
伊東 一典 通信 S46
清水 茂 土木 S49
常任理事 脇若 弘之 電気 S46
若林 信一 合成 S48
大上 俊之 土木 S53
半田 志郎 電子 S53
山本 博章 情報 S55
  和彦 機械 S61
高村 秀紀 建築 H8
監事 轟  一郎 通信 S47
松岡 浩仁 精密 S61
理事 宮入 裕夫 機械 S37
池田 敏彦 機械 S44
野村 義和 機械 S50
丸山 六男 機械 S52
西木 直巳 機械 S56
遠藤 智久 機械 S57
永田 利雄 機械 S57
松森 徹 機械 S60
鬼頭 宏和 機械 S61
樅山 尚久 機械 S61
櫻井 雅史 機械 H2
浦野 正敏 精密 S42
小平 正八 精密 S43
降旗 建治 精密 S45
藤田 雄二 精密 S45
冨田 五一郎 精密 S47
米本 峰久 精密 S50
寺澤 昭彦 精密 S62
野村 精志 通信 S38
干川 圭吾 通信 S42
萬年 正治 通信 S45
遠藤 守信 電気 S44
西 嘉一 電気 S46
土屋 寛 電気 S49
竹田 圭吾 電子 S49
田宮 秀英 電子 S50
中澤 達夫 電子 S52
窪田 悟 電子 H1
曽根原 誠 電電 H14
村松 寛之 電電 H16
有賀 良夫 土木 S46
清水 治彦 土木 S53
関根 邦彦 土木 S53
中嶋 孝満 土木 S55
松本 進 工化 S47
小林 壯 工化 S51
白鳥 敬日瑚 工化 S56
清野 竜太郎 工化 S62
馬場 文明 合成 S48
布施 美千栄 合成 S52
戸田 泰行 合成 S54
山口 朋浩 物質 H6
手嶋 勝弥 物質 H7
不破 泰 情報 S56
前田 政人 情報 S57
香山 瑞恵 情報 H3
梅千野 成央 社建 H14
牛  立斌 シ開 H10
名誉会長【工学部長】 天野 良彦 工化 S57
顧問 市川 誠 精密 S20
宮澤 脩 機械 S24
小沼 義治 電気 S34
北澤 文教 土木 S35
神田 鷹久 工化 S38

沿革

トップにもどる▲ ▶︎ 沿革作成にあたり参考とさせていただきました信州大学工学部同窓会沿革史(平成22年10月発行)はこちら

【前史】

 明治から大正期にかけて我が国で設置された高等工業学校は22校である。昭和期に入り、高等工業学校増設の気運が高まり、昭和14年3月の国会でさらに7校の高等工業学校の増設が定められた。これを機に、長野県内でも高工招致運動が活発となった。昭和15年12月、長野県議会は高等工業学校設置に関する意見書を可決し、昭和16年、長野電気株式会社からの寄付金100万円を基金として運動を展開した。また長野市は、昭和17年に高工設立委員会を発足させた。そして昭和17年12月10日、閣議において長野市に長野高等工業学校を設置することが決定された。

昭和18年4月1日
長野高等工業学校生徒募集要項公示
学科
(修業年限3年)
機械科・精密機械科・航空工学科・
電気科・通信工学科 各科定員40名

募集人員200名に対して入学志願者は2633名

5月10日
第1回入学式挙行

長野工業学校(現在八十二銀行本店敷地内)の講堂で挙式、同校の一部を仮校舎として授業開始。

11月1日
長野高等工業学校校舎新築の地鎮祭

高工招致運動の中で、長野県と長野市は校舎および寄宿舎の用地を若里地区で買収し、国に寄付した。

昭和19年3月22日
長野高等工業学校報国隊勤労奉仕に出動

決戦非常措置要綱に基づき、各学科に相応する県内外の軍需工場へ出動した。

4月1日
勅令165号により校名改称

長野高等工業学校を長野工業専門学校に。

長野工業学校の仮校舎から旧県立長野工業試験場に移転して授業開始

かつての(長野市若里500)長野工業試験場は、現在の工学部キャンパス用地内の北西部の一帯に位置していた。この土地と建物を長野県から移管され、校舎として使用した。

6月1日
学校報国隊出動令で学徒動員は東京方面にも及ぶ

2年生は県内と東京方面の軍需工場へ出勤、1年生は近隣の村々へ農繁奉仕に出動した。

昭和20年1月15日
緊急航空機増産のため1年生は富山市へ出動
3月31日
第一校舎(教室)と寄宿舎が初めて新築落成
4月1日
決戦教育措置要項により1年間授業停止

昭和20年4月1日より、原則として授業は全面的に停止、全学徒はすべて軍需生産、食糧増産、防空防衛、重要研究、直接決戦に緊要な業務に総動員される。

8月13日
長野市空襲

米軍機約10機による波状攻撃を受ける。

8月15日
終戦

学徒勤労動員を中止。引揚げや食糧事情等のため臨時休業に入る。

9月1日
授業再開

9月1日から16日まで授業を行い、9月17日、18日の両日、試験を行う。

9月23日
第1回卒業証書授与式挙行(繰上卒業生172名)

戦時中の非常措置として、昭和17年度から修業年限を2年半に短縮し、9月卒業を昭和20年まで続けた。

10月31日
第二校舎(教室)が落成
新築された第二校舎
東側より撮影。校舎の中間の渡り廊下は北側の第一校舎につながる。渡り廊下のはるか後方には長野県から移管された旧長野工業試験場の建物の屋根の一部が見える。
11月1日
陸海軍諸学校からの転入学
12月20日
航空機科が廃止される
昭和21年2月23日
電気通信科同窓会の発会

会を長野工専電気通信科同窓会と命名し、
後日校友会誌IMPULSE Vol.1を発刊した。

初の同窓会誌
(長野工業専門学校電気通信科同窓会誌)
2月25日
第一校舎(教室)より出火し同建物を焼失

火災から時を置かずして文部省より昭和21年度新入学生募集延期の通知を受け、学校の存続が危ぶまれた。学校当局および在学生と卒業生は焼失校舎の再建と学校の存続について文部省へ陳情すると共に広く市民に呼びかけて支援を求めた。

3月3日
長野工業専門学校 校友会発足
3月7日
長野工業専門学校職員組合結成(教職員102名)
4月1日
航空機科廃止に伴い第二機械科を置く
5月2日
凍結されていた新入学生募集が認可される
12月20日
長野工業専門学校後援会設立
12月
長野工業専門学校同窓会結成
昭和22年4月
新制大学設置法公布を機に大学への活発化
学校当局者、後援会、同窓会は協力して単科工業大学への昇格運動を開始する。
長野県出身の各界の名士への働きかけと昇格寄付金の募金を行う。
10月1日
財団法人民生科学研究所設置認可
昭和23年4月
文部省は国立大学設置法を公布

設置法は県単位1大学設置の方針のため、長野県下の各高等専門学校は、信州大学設置委員会を組織して、信州大学総合大学案を作成した。また、知事を会長とする信州大学期成同盟会を結成した。

7月1日
土木科の設置が認可された
昭和24年5月31日
信州大学設置が認可される(法律第150号)
本学は信州大学工学部になる
学生定員
135名
機械工学科 45名 電気工学科 30名
通信工学科 30名 土木工学科 30名
昭和2年当時の若里一帯の土地利用状況
(長野市所蔵1/1万地形図)
昭和22年当時の学校の整備状況
(昭和22年に米軍が撮影した空中写真の一部)
7月12日
信州大学工学部第1回入学式挙行
9月23日
裾花川堤防の決壊で水害を受ける
昭和25年6月27日
工学部学生会を結成し、長野工業専門学校校友会と活動を共にした
10月1日
長野工業専門学校同窓会報第1号発行
10月30日
開学1周年、学校創立7周年記念式典挙行
昭和25年当時の建物配置図
建物はすべて木造で平屋か二階建。
白ヌキは共通建物。
昭和26年3月15日
長野工業専門学校最終卒業式

開校後第6回の卒業式、卒業生総数は累計982名

3月31日
長野工業専門学校は廃校となる
校章入りの記念バックル
正門の門柱
門柱の校名
昭和27年3月25日
通信工学科音響実験室落成
11月21日
電気工学科高電圧実験室落成
土木工学科実習室落成
昭和28年3月15日
信州大学工学部第1回卒業証書授与式挙行
3月31日
信州大学付属図書館工学部分館新築落成
昭和29年3月15日
信州大学工学部同窓会が結成される

名称を「信州大学工学部同窓会」とする。

3月31日
講堂新築落成(延224坪 建築費598万円)
昭和30年3月15日
工専・工学部同窓会合併

これにより新たな信州大学工学部同窓会が発足した。同窓会の名称を広く会員に募集したところ「若里会」にしぼられていった。そして10月には会報「若里」創刊号の発行に至る。

4月1日
信州大学工学部同窓会会則が施行される
6月12日
同窓会東京支部結成(東京地区参加人員46名)
9月3日
同窓会中部支部結成(松本地区参加人員19名)
10月20日
信州大学工学部同窓会報「若里」創刊号発行
若里寮のコンパ風景
犀川河川敷からの若里寮の全景
信州大学工学部同窓会報
「若里」創刊号

B5判新聞形式12ページ
内容:入学生氏名、卒業生氏名、教室便り、支部便り
会員便り、学校便り、役員名簿、会則
昭和31年4月1日
信州大学工学部後援会設立
5月19日
同窓会に同窓生から初の副会長が選出される
10月15日
同窓会報「若里」第2号発行

若里第2号からA5判の製本となる。
編集内容も74ページの充実したものとなる。

11月5日
信州大学工学部学生自治会結成

昭和25年に結成された工学部学生会は、この日から信州大学工学部学生自治会として新規約の下に活動を始めた。

昭和32年3月31日
同窓会関西支部設立準備会(参加人員18名)
11月4日
同窓会南信支部発会(参加人員51名)
11月10日
同窓会東信支部発会(参加人員43名)
12月27日
正門東側に学生ホール新築

木造平屋 一部二階建 延73坪
建築費222万円は地元の寄付による。

学生ホール(左)
図書館(中)
講堂(右)
昭和33年6月27日
体育館が新築落成

鉄骨平屋 一部二階建 延171坪 
建築費615万円は地元の寄付による。

野球場バックネット(左)
体育館(中)
7月8日
同窓会関西支部設立(参加人員23名)
昭和34年3月31日
工業化学科の新設認可(学生定員40名)

教官定員:教授4名、助教授4名、助手4名

4月1日
工学専攻科の設置認可

学生定員:機械・電気・通信・土木 各5名

10月11日
同窓会東海支部結成(参加人員39名)
昭和35年4月21日
工学専攻科第1回入学宣誓式
昭和36年3月20日
工業化学科建物第一期新築工事落成

工学部初の鉄筋コンクリート三階建ての建物であり、これに加えて工学部として初めてのガスの施設が備わった。

5月13日
同窓会北信支部設立(同窓会総会の当日)
昭和37年4月1日
精密工学科の新設認可(学生定員40名)

昭和35年度から続けてきた4講座制学科新設の運動が実現した。

工学部生活協同組合設立
昭和38年4月10日
工学専攻科工業化学専攻設置認可(学生定員5名)
11月1日
長野工業専門学校創立満20周年記念式典挙行

昭和18年の開校より満20周年を記念して、同窓会は信州大学工学部および学生自治会と共催で、記念式典、記念講演会、祝賀会を行った。記念講演会では初めて2名の同窓生が講演した。

昭和39年4月1日
土木工学科の拡充改組認可

これまでの4学科目制(学生定員40名)が6講座制(学生定員60名)となる。

4月30日
精密工学科建物新築工事落成
12月15日
電気工学科建物新築工事落成
昭和40年2月28日
信土会設立
信士会の創立を記念して作られた会報
9月18日
若里会関東支部総会
11月3日
創立25周年記念事業会結成
昭和41年4月11日
土木工学科建物新築工事落成
4月22日
工学専攻科精密工学専攻設置認可(学生定員5名)
5月6日
信州大学初の電子計算機室が工学部に設置され開所式(鉄筋コンクリート平屋建)
7月13日
戸隠山荘用地の登記完了

25周年記念事業実行委員会は用地を戸隠村営スキー場の近くに定め、この日登記を完了した。
場所 長野県上水内郡戸隠村越水 面積 1360㎡(412坪) 購入価格 68万円

8月4日
学内会員が戸隠山荘用地の境界杭と看板を設置
戸隠村越水地籍に建てられた若里会用地の看板前で記念撮影
境界杭の埋設作業
12月10日
機械工学科建物新築工事竣工

東棟:鉄筋コンクリート三階建 西棟:鉄骨平屋建

昭和42年1月14日
同窓会北海道支部結成
3月10日
機械工学科実習工場竣工(鉄骨平屋建)
3月31日
信州大学大学院工学研究科の設置認可

学部当局は昭和40年2月に大学院設置促進委員会を設立して大学院工学研究科(修士課程)の設置に向けて教官組織、研究、施設設備を強化してきた。また、県経営者協会が大学院設置期成同盟会をつくり、促進に協力した。
この努力が実を結び、昭和42年4月1日から修士専攻の2年課程を開設することが認可された。
学生定員(総員50名)
機械工学(10)・電気工学(8)・通信工学(8)・土木工学(12)・工業化学(8)・精密工学(8)
これに伴い、従来の専攻科(各科定員5名)は廃止された。

5月27日
大学院工学研究科の第1回入学宣誓式
8月10日
戸隠山荘の起工式を現地で行う
11月1日
信州大学工学部25年略史刊行
25周年当時の信州大学工学部
建物配置全体図
11月2日
信州大学工学部25周年記念講演会
11月3日
信州大学工学部25周年記念式典
11月4日
戸隠山荘落成祝賀

工学部から貸切バスで約50名参加。
竣工した山荘を見学後、戸隠スキー場の川中島バス(株)経営の高原ホテルのレストランで祝賀会を行う。

竣工した若里会戸隠山荘
(木造二階建延44坪)
昭和43年4月1日
若里会初代理事長に市川誠就任(精密機械20年卒)

25周年を契機として、若里会の完全な自主性を確立するために会則の変更がなされ、同窓生の中から理事長を選び、工学部長は名誉会長に推薦することとなった。

合成化学科設置認可(学生定員40名)
6月1日
戸隠山荘開館

信州大学開学記念日にあたるこの日に、信州大学工学部同窓会の「若里会戸隠山荘」が開館した。発足当時、山荘の寝具類は整っていたが、食事は近くの高原ホテルからの仕出しでまかなっていた。初年度の夏場の利用客は250名であった。冬場に向けて山荘の入口部分をスキー乾燥室に改造し、暖房および厨房設備を備え、食事は管理人がまかなうことにした。冬場(翌年3月末)までの利用客は780名、初年度の利用客は夏冬合わせて1,030名であった。

戸隠山荘1階平面図
戸隠山荘2階平面図(洋間を日本間に改造後の間取り)
2階からの戸隠山
補修を終えた戸隠山荘(平成14年)
1階ホール兼食堂
6月8日
信州大学工学部教職員組合結成
10月
工学部学生自治会が無期限ストに突入
昭和44年7月1日
工学部将来計画委員会規則制定
昭和45年3月10日
合成化学科建物新築落成
4月1日
通信工学科から電子工学科への改組拡充
昭和46年3月15日
附属図書館工学部分館新築落成
昭和47年3月21日
工学部本部及び電子工学科棟竣工
4月1日
大学院工学研究科修士課程合成化学専攻増設
若里会第二代理事長に柄沢幸二就任(精密機械22年卒)
6月10日
若里会会則を改訂し終身会費制を導入
昭和48年6月16日
若里会理事会決定事項

(1)常任理事制を設けた。
(2)学部から借用した部屋を同窓会の事務所として整備することとし、他大学の実例等を
 参考にして進めることとした。
(3)戸隠山荘の洋間を日本間に改造して収容人員を増やすこととした。

11月9日
35周年記念事業に向けた胎動

若里会評議員会で同窓会館建設と会の法人化について提案がなされた。

昭和49年1月31日
工学部電子計算機センター新築落成
3月20日
「若里会」を「信州大学工学部同窓会」に変更
4月1日
情報工学科設置(5講座・学生定員50名)
大学院工学研究科修士課程通信工学専攻を電子工学専攻に改組
6月12日
同窓会館建設研究委員会発足
8月1日
同窓会報を新聞形式に変更
9月21日
工学部35周年記念事業として、同窓会館の建設事業が定期総会で承認された

建設予定地を工学部敷地に隣接する姫塚の横に決定した。

12月6日
工学研究科大学院生会規約制定
昭和50年1月24日
35周年記念事業準備委員会発足

同窓会館建設の募金趣意書案の作成に取り組む

3月16日
新入会員歓迎祝賀パーティー復活

全学科の卒業生が一同に会し、卒業と同窓会への入会を祝う卒業式後の祝賀会は、長い間恒例化していたが、昭和40年代に全国的な広がりを見せた学生運動や学園紛争が尾を引き、昭和46年以降は中断の止むなきに至っていた。この祝賀パーティーは50年から復活し、体育館に新卒業生のほぼ全員にあたる三百数十名と教職員および同窓生が集まり、総勢四百名以上で卒業を祝った。

会報わかさと第3号
(昭和50年3月16日発行)
同窓会館建設募金趣意書(案)と会館完成予想図
体育館で開かれた
祝賀パーティー

(昭和50年3月16日)
4月19日
同窓会館建設実行委員会発足
11月
情報工学科実験研究棟新築落成
11月15日
戸隠山荘委員会設置
理事の中から数名の委員を選び戸隠山荘の管理運営に当たることとした。
昭和51年3月
工学部放射性同位元素(RI)研究室新築落成
3月25日
工学部学生食堂新築落成(鉄骨平屋建)
竣工した学生食堂全景
バックの建物は土木工学科(前)と電子工学科(後)
4月1日
会則の一部を改め年会費は500円から1,000円に
8月31日
同窓会館建設募金運動中間報告
昭和52年11月24日
同窓会館建設予定地の土地購入が成立し登記を完了

土地面積 165㎡
購入代金 379万円

購入当時の同窓会館建設予定地(姫塚の横)
若里キャンパスの北西部に隣接する土地。
写真の右端に姫塚の欅の大木が、左端には工学部の桜の木が写っている。
写真の中央部の草地が購入した土地で現在は駐車場に利用している。
昭和53年4月1日
大学院工学研究科修士課程に情報工学専攻を設置
昭和54年3月22日
工学部学生寄宿舎「若里寮」新築落成
4月1日
第三代理事長に宮澤脩就任(機械24年卒)
4月2日
会則第16条を改め会費を大幅に値上げ
10月1日
同窓会館建設募金運動中間報告
昭和55年10月20日
同窓会館建設募金運動中間報告
12月20日
氷河期の始まった戸隠山荘
昭和56年3月16日
会報「わかさと」は第17号にて形式変更

「わかさと」第17号は卒業式に合わせて、新入会員特集号として全員の氏名と就職・進学先を掲載した。(学部卒347名、院修了41名、計388名)

4月1日
建築工学科設置(4講座・学生定員40名)

機械系(機械工学科・精密工学科) 電気系(電気工学科・電子工学科・情報工学科)
建設系(土木工学科・建築工学科) 化学系(工業化学科・合成化学科)

11月28日
冊子形式の同窓会誌「若里」第30号発行

【表紙のモデルチェンジ】

復活した冊子形式の同窓会誌
「若里」第30号の表紙(A5版)
戸隠山荘のスケッチを入れた
「若里」第33号
「若里」第34号からカラー写真
昭和57年3月
建築工学科実験研究棟新築落成

鉄筋コンクリート五階建

昭和58年4月
長野県県民文化会館新築

長野県農業試験場の農場の跡地に会館と公園緑地などが出現した。後年、工学部と教育学部が卒業式を合同でこの会館で行うようになった。

昭和59年4月
工学部福利施設の増築と全面改装
昭和60年3月20日
同窓会誌「若里」第33号発行
4月1日
同窓会会則の中に賛助会員を設ける
大学院工学研究科修士課程に建築工学専攻を設置
12月16日
同窓会誌「若里」第34号発行
12月
同窓会会員名簿59年版発行
昭和61年12月15日
同窓会誌「若里」第35号発行
昭和62年8月31日
財団法人「若里会」の設立認可される
昭和63年3月16日
卒業式と学位授与式を県民文化会館で教育学部と合同で行う

この年から二学部合同で長野地区の卒業式を行うようになり、現在に至っている。

初の合同卒業式が行われた
当時の県民文化会館
5月24日
工学部学科改組に伴う助成
平成元年3月16日
卒業生の総数1万名を突破

昭和20年9月、信州大学工学部の前身である長野工業専門学校が初の卒業生171名を送り出してから43年の星霜を経て、平成元年3月卒業式の時点で卒業生の総数は10,310名に達した。

4月1日
学部の改組による大学科制を導入

科学技術の発展と社会の変化に対応するため、工学基礎及び専門的な勉学に加えて、学際的な知識の修得を目標として改組が行われた。これにより情報工学科は大幅な増員となったが、機械系以外の学科は減員となった。

平成2年7月24日
会則の見直しを検討
平成3年4月12日
工学系大学院博士課程新設
12月10日
同窓会誌「若里」第 40号で、同窓会館建設実行委員会の解散を会員に伝える

昭和50年4月19日に同窓会館建設実行委員会を発足させ、昭和52年11月24日に土地購入。その後の募金状況を「同窓会館特別会計」として扱ってきたが、この年度で実行委員会を解散し、財団法人若里会をもってこれに代え、窓口を継続し、所期事業を推進することとした。

12月
同窓会会員名簿(平成3年版)発行
平成4年6月20日
信州大学工学部同窓会会則大幅改正

平成4年6月20日の同窓会総会で、理事会の原案が承認された。会則の改正部分は「若里第 41号(H5.3.25)」に新旧の会則を対比して詳細に示されている。

平成5年3月16日
旧学科時代の最後の卒業および修了者

平成元年に行われた大学科制への改組の前は、工学部の学科数は 10学科であった。この日、旧学科の最後の卒業・終了式が行われた。この時点において各学科の卒業・修了者の総数は、エ専時代の航空 (33 名)を加えて、11,712名に達した。

4月1日
高専・短大編入生10名が定員化される
8月26日
戸隠山荘への出費が年々増大
10月28日
他大学の同窓会へのアンケート調査
平成6年3月
課外活動施設竣工
4月1日
第四代理事長に箕輪操就任(電気24年卒)
7月18日
理事会で会の運営上の諸問題を検討
平成7年3月30日
工学部と若里会の土地交換で境界線を整正

同窓会館の建設予定地として取得した、若里会の所有地と工学部の所有地の境界線は複雑な形状であり、この形状を整正し、土地への入口部の狭さを解消する目的で、両者の所有地の等積交換を行う交渉が昭和63年から続けられてきた。この日、法的な手順を経て交換の契約に至った。

公図の写し(土地交換付近)
土地交換は工学部所
有地の454-1と454-11
の一部を同窓会に、同
窓会所有地の452-2と
452-3と452-4の一部
を工学部に渡す条件で
行った。
6月23日
地域共同研究センター(CRC)の建物竣工
10月4日
信州大学工学部若手教官研究助成金交付開始

工学部に在職する若手教官の研究活動を支援する目的で財団法人信州大学工学部若里会の事業のひとつとして創設した。

平成8年4月10日
大学院工学系と教育系研究科の合同入学式を県民文化会館で挙行
平成9年1月24日
リフレッシュ信州工学フォーラム'97開催

信州大学工学部主催、信濃毎日新聞社共催、財団法人信州大学工学部若里会後援で開催。

4月1日
高専 ・短大編入生の定員を10 名増員
工業高校生の推薦入学を設ける(定員11 名)
若里会常務理事を増員
8月21日
信州大学太田国際記念館竣工

太田三郎氏(オリオン機械株式会社代表取締役会長)が会社創立50周年に当たり、私財を投じて鉄筋コンクリート三階建の建物を土木工学科棟の南東部に建設し、内部の付帯設備ー式と共に工学部に寄贈した。これは国際交流に寄与できる多目的な施設を大学へ寄付したいという同氏の篤志によるものである。

12月25日
同窓会会員名簿(平成9 年版)発行
12月
戸隠山荘の経営に新たな取り組み

平成9年から山荘の経営方針を利用客へのサービスに重点を置くことにした。夏季の営業を休んで下水道を整備してトイレを水洗とし、客室も気持ち良いように改装した。これまでの季節限定の開館期間をオールシーズンオープンに改めた。新しい管理人は客の入らない場合は室内の補修や美化を行い、1年後には山荘はピカピカの快適なものに生まれ変わった。管理人の料理やサービスも好評で、利用客の数も年ごとに回復していった。

若里第47号の裏表紙
(戸隠山荘の利用案内)
平成10年2月
冬季オリンピック・パラリンピック大会でボランティア活動

工学部からボランティア活動への参加者数 学生556名 教職員41名

4月1日
環境機能工学科発足(定員50 名・3大講座制)
11月4日
リフレッシュ信州大学フォーラム'98開催
平成11年3月29日
国際交流会館竣工(鉄筋コンクリート三階建)
7月16日
信州大学工学部外部評価(教育)の実施に助成金
平成12年3月7日
戸隠山荘入口の土地購入、登記完了

山荘の入口が広くなり、
用地面積は 412 坪から 431 坪に増加した。

土地購入後の戸隠山荘用地平面図
4月1日
第五代理事長に菱田拓郎就任(電気28年卒)
8月25日
信州大学工学部外部評価(研究)の実施に助成金
10月27日
同窓会館建設用地の登記完了
平成13年5月30日
工学部が国際環境規格ISO14001の認証を取得
7月11日
戸隠山荘の改修を予算化
平成14年1月23日
若里会のホームページを計画
4月1日
第六代理事長に柳沢武三郎就任(通信31年卒)
5月24日
学部助成金を各学科に20万円と定める
7月12日
同窓会館と戸隠山荘の将来展望
10月30日
技報こまくさ第1号発行

(財)若里会の公益性と社会寄与の原点から、
最新の科学技術を展望できる情報誌として「技報こまくさ」を創刊した。
創刊号は平成7年から実施してきた母校の若手教官の研究成果を総括した。
以後は毎年1回の発行となった。

(財)若里会が発行した
技術情報誌「こまくさ」創刊号
10編の技術論文掲載
12月10日
同窓会誌「若里」がA5判からA4判に変更される
会誌「若里」第50号の表紙
・A5判縦書き会報の最終版
・表紙にはこれまでに発行した会報の題字や写真を収録した。
①昭和25年に長野工業専門学校同窓会が発行した会報の題字
②昭和30年に工学部同窓会が発行した創刊号の題字
③昭和49年から昭和56年まで新聞形式の会報を発行したときの題字
④カラーの16コマの写真は若里34号(昭利60年)から
 若里49号(平成13年)までの表紙に用いた写真
会誌「若里」第51号の表紙
これまでの縦書きが第51号よりすべて横書きのA4判の編集となった。
文字や写真を大きくして読みやすいものとした。
平成15年2月20日
工学部に高層ビル:総合研究棟竣工
5月28日
信州大学工学部同窓会会則改正
理事 ・評議員会および総会で戸隠山荘の休館を決定
6月18日
ISO学生委員会へ助成を開始
平成16年4月1日
国立大学法人信州大学が発足

信州大学を含む99の国立大学が平成16年度(2004年)から法人化された。昭和24年(1949年)の新制大学の発足以来の大きな改革である。それぞれの大学が独立の法人となり、「国 立大学法人・信州大学」が「国立大学・信州大学」を経営することとなった。

4月27日
戸隠山荘の管理と財産の整理
6月1日
信州大学工学部同窓会若里会ホームページ開設
9月14日
信州大学連合同窓会役員に柳沢理事長を選出
平成17年4月1日
長野市ものづくり支援センター開所

鉄筋コンクリート五階建

信州大学工学部建物配置図(平成17年)
•この図は、平成17年にUFO長野が竣工した時点における工学部の建物の配置を示した略図である。
· SASTec(平成21年竣工)の位置も破線で示した。
· SASTec は間口3 9m、奥行20m、鉄筋コンクリート三階建で、同窓会の事務室は二階の西端にある。
8月11日
同窓会事務就業規則制定
工業高校生ロボコン、ものづくりコンテストヘの助成開始
平成18年5月27日
信州大学工学部同窓会会則改正
9月15日
戸隠山荘の建物再診断
平成19年2月22日
同窓会館建設と同窓会事務室の検討
5月26日
戸隠山荘の解体撤去を総会で承認
8月7日
同窓会事務室移転
8月17日
工学部60 周年記念事業計画WG発足
10月20日
戸隠山荘降棟式
平成20年4月1日
社会開発工学科を土木工学科と建築学科に改組
4月24日
信州科学技術総合振興センター建設事業の推進を了承
5月16日
同窓会事務室移転
10月20日
経済産業省より補助金の交付決定
11月14日
工学部創立60周年記念事業募金趣意書発送
平成21年2月16日
講堂撤去工事開始
3月19日
SASTec建設工事開始
11月30日
SASTec竣工(鉄筋コンクリート三階建)
12月5日
工学部創立60周年記念式典・講演開催
平成22年3月25日
新築のSASTecに同窓会事務室誕生 産学連携の研究開発と交流にあたる

信州大学工学部創立60周年記念事業の一環として実現したSASTecの二階の一室に、同窓生を中心とした産学連携の研究交流室が誕生した。広さは10m × 6m = 66㎡で、会議コーナー、事務コーナー、応接コーナーに仕切られ、60年以上にわたる同窓会の活動記録も分類保管されて、同窓生諸氏の来学を待ち望んでいる。

同窓会の事務コーナー
5月22日
創立記念事業基金の創設

信州大学工学部創立60周年記念事業が完了し、役割を終えた同窓会館建設寄付金会計を終了し、新たに創立記念事業基金が創設された。

6月
技報「こまくさ」9号発行

若里会発行の技術誌として継続して発行され、本号以降も10号(H24)~16号(H30)が既刊となっている。

10月1日
信州大学工学部同窓会沿革史を発刊

「信州大学工学部創立60年の歩み」から抜粋した別冊を5,000部発刊し、賛助会員(入学生の保護者)への配布、外部への同窓会の紹介・宣伝などに利用している。

11月1日
会誌「若里59号」発行
平成23年7月27日
第六代理事長 柳沢武三郎 急逝

副理事長 神田鷹久が理事長を代行。

11月24日
ようこそ先輩!若里イブニング講演会(第1回)を開催

卒業生の中から、社会や企業等の第一線で活躍しているベテランと新進気鋭の若手を招き、在学生の勉学意欲の高揚を図り、進路選択等に資することを目的に、平成23年から毎年継続的に実施されている。
演題:変化への対応~目標を定め、変革の実現~
講師:長野日本無線(株)代表取締役社長 丸山 智司(通信S45)
演題:会社生活を楽しむ大切なこと
講師:オルガン針(株)営業開発本部 三矢 麻衣(物質H11)

12月1日
会誌「若里60号」発行
12月15日
第七代理事長に神田鷹久(工化S38)が就任
平成24年3月22日
一般財団法人信州大学工学部若里会が長野県知事より認可される

旧「信州大学工学部若里会」は、公益法人として昭和62.10.1に法人格を取得したが、民法改正(平成20.12.1施行)に伴い一般財団法人に移行した。
それまでの公益法人は、宗教、慈善、学術等の非営利目的を根拠に、主務官庁より許可されたが、設立が難しい反面、一旦設立されると認可取消処分が滅多に無いために、休眠法人や公益性に疑問を持たれる法人も存在するようになった。そこで、税法上優遇される公益法人の認定を厳格化する一方で、一般法人法を制定して設立を容易にする制度改革が行われた。

10月19日
ようこそ先輩!若里イブニング講演会(第2回)を開催

演題:ものづくりの意味と未来
講師:新光電気工業(株)代表取締役社長 倉石 文夫(合化修S54)
演題:日産リーフの開発
講師:日産自動車(株)EV技術開発本部 池田 達彦(機械修H2)

12月25日
会誌「若里61号」発行
平成25年3月
工学部へ講義棟改修に伴う記念品(演卓ほか)を寄贈
5月24日
同窓会々則の一部を改訂

(下記の会則抜粋において、下線部が改訂箇所。正会員の定義の簡潔化、賛助会員を大学院在学生まで拡大、理事長・副理事長から会長・副会長への役員名称の変更、終身会員資格の見直し等の諸改訂が行われた。)

第2章 会 員
【第3条 本会は下記の会員をもって組織する。】
1 正会員 長野工業専門学校、信州大学工学部、信州大学大学院(若里キャンパス)に在籍し、卒業あるいは修了した者、および本会が認めた者。
3 賛助会員 工学部在学生保護者、または他大学から本学大学院に入学し在籍している者。
【第4条 役員及び会議】
1 本会に次の役員を置く。 会長1名、副会長3名、常任理事 若干名
4 常任理事会 常任理事会は会長、副会長、常任理事および監事にて構成する。会長は副会長、常任理事、監事を招集し、議長となり会務に必要な事項を審議し、会務の執行を図る。
第6章 会 計
【第12条 会員は下記の会費を納入するものとする。】
1 正会員は、会費として年額2,000円を納入するものとする。納入会費合計40,000円を上限とし、これに達し次第「終身会員」とする。
2 賛助会費は、在学中に30,000円を一括納入するものとする。賛助会員が保護者の場合、学生の卒業と同時に卒業生本人を正会員および[終身会員]とする。本人が賛助会員の場合も、卒業と同時に正会員および[終身会員]とする。

10月18日
ようこそ先輩!若里イブニング講演会(第3回)を開催

演題:時代スピードへの対応
講師:日置電機(株)代表取締役社長 町田 正信(電子修S61、博修H11)
演題:若里からグローバル競争の舞台へ
講師:(株)東芝ストレージプロダクツ設計生産統括部 滝澤 和孝(電電修H16、博修H19)

11月7日
若里所有地(旧同送会館建設予定地)の売却

25.9.14公告、25.10.22入札・落札、旧土地所有者の佛導寺へ売却

12月1日
会誌「若里62号」発行
平成26年10月18日
新・工学の先駆者 ようこそ先輩2014(第4回)を開催

演題:橋梁建設(昭和後期~平成)の技術の変遷からメンテ時代へ
講師:横河工事(株)前社長 上原 修(土木S46)
演題:現代と向き合う若者
講師:富士通インターコネクトテクノロジーズ(株) 宮島 由利子(物質修H19)

12月1日
会誌「若里63号」発行
平成27年10月17日
新・工学の先駆者 ようこそ先輩2015(第5回)を開催

演題:会社創業と信州大学工学部学生時代の恩師との御縁
講師:マイクロストーン(株)代表取締役社長 白鳥 典彦(工化S56)
演題:5年目を迎えて思うこと
講師:(株)日立製作所インフラシステム社 藤井 貴之(電電修H23)

12月1日
会誌「若里64号」発行
平成28年10月〜
支部の再構築・新設が始まる

 昭和30年に東京、中部、南信、東信、33年に関西、34年に東海、36年に北信、40年に関東、昭和42年に北海道のそれぞれの支部が相次いで結成されたが、平成15年に制定された個人情報保護法による制約や社会・職場環境の変化等の影響を受け、支部役員の努力にも限界があり、同窓会員を束ねる組織的な活動が困難な状況となった。多くの支部の活動は休眠状態に陥った。一方で、(株)日立製作所及び関連企業に勤務する工学部同窓生を中心に昭和38年頃から始まり、信州大学他学部出身者も含む同窓懇親会が発展して平成21年に茨城県北地区同窓会「こまくさ」会として発足した支部の例もある。平成28年以降、同窓会本部からの働きかけや活動費支援の強化を契機に、各支部の再構築・再編が始まった。そして、会員数が多い旧北信支部は長野支部と北信濃支部に分割再編され、新支部として活動を開始している。

【再構築された支部】
 H28.10.15東信支部 支部長 清水 信孟(電気S41)
 H29.6.10 中信支部 支部長 竹田 圭吾(電子S49)
 H29.11.4 南信支部 支部長 浦野 正敏(精密S42)
準備中  関東支部 支部長 宮入 裕夫(機械S37)
【新設支部】
 H21.11.11茨城支部(信州大学茨城県北地区同窓会「こまくさ」会)
       支部長 丸山 征一(電気S36)
 H30.5.26 北信濃支部 支部長 綿貫 隆夫(工化S43)、
 H30.7.14 長野支部 支部長 湯本 泉(機械S38)

10月15日
新・工学の先駆者 ようこそ先輩2016(第6回)を開催

演題:卒業後50年、今も意欲を持って楽しく働き続けられている源を考える
講師:松本商工会議所専務理事 胡桃澤 宏行(精密S42)
演題:ものづくりの世界に身を置いて
講師:多摩川精機(株)モータトロニックス研究所 岡島 徹弥(電電H24)
演題:本年度の工学部における就職活動の概況
講師:信州大学工学部就職支援室 特任教授 伊藤 一典(通信S46)

12月1日
会誌「若里65号」発行
12月2日
信州大学工学部/同窓会「わかさと賞」の創設

 工学部卒業予定者の中から、学業において優秀な成績を修めるのみならず、学内外での活動等にわたり鋭意研鑽に努め、他の学生の範となった者を表彰することにより、その栄誉を讃えると共に、在学生の修学意欲を高揚し励ますことを目的として、平成28年度に創設された。
 表彰状と記念品(副賞)を授与。副賞は工学部の加工技術センターが製作したオリジナル「レリーフ」で、工学部正門からの風景が描刻されている(B5版、アルミニウム合金板製、艶消黒染アルマイト加工、桐箱入)。

平成29年10月21日
新・工学の先駆者 ようこそ先輩2017(第7回)を開催

演題:理想の技術者教育を求めて
講師:元東京工業大学附属科学技術高等学校副校長 中村 豊久(工化S38)
演題:社会人を目指すあなた
講師:松本市上下水道局 塩原 健一(電電H16)

平成30年1月
会誌「若里66号」発行
5月18日
第八代会長に宮入圭一(電気S41)が就任
11月1日
戸隠山荘土地の売却

30.9.21公告、30.10.23入札・落札、隣接地でロッジ経営の梅田晃尚氏へ売却

11月9日
ようこそ先輩2018(第8回)を開催

演題:温暖化の今、自然林の再生を
講師:NPO法人国際ふるさとの森づくり協会(レナフォ)理事長 髙野 義武(土木S42)
演題:入社2年目に思うこと
講師:新光電気工業(株)開発統括部 松澤 拓也(情報修H29)

12月
会誌「若里67号」発行
平成31年2月21日
信州科学技術総合振興センター建設記念碑を設置

銅板製記念碑を信州科学技術総合振興センター1階ロビー(エレベータ前)横壁面に設置